記憶に新しい、平成12年(2000年)に「西山高原」(西山火口群)と「金毘羅火口群」を生成した活動経過
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え?有珠山で火山性地震が急増!…まだ早いって。
私の住む伊達市、洞爺湖温泉の虻田町、昭和新山の壮瞥町の3市町にまたがる活火山「有珠山」で、突然火山性地震が急増しました。
このニュースを聞いてまず思ったことは「まだ早いって」でした。
有珠山は昭和52年(1977年)8月7日から翌年秋までの間、噴火活動を続けた2重式火山です。
2重式火山というのは、簡単に言えば2段重ねの火山で、富士山のような成層火山が崩壊又は沈下してできたカルデラの中に更に火山が出来たものです。九州の阿蘇山が世界最大のカルデラで有名ですね。
ちなみに洞爺湖はカルデラの中に水がたまったもので、更にその中にできた火山が中島で、洞爺湖のカルデラの縁に出来た火山が有珠山です。
前回の昭和52年の火山活動はカルデラの火口原の中から噴火した山頂噴火で、噴煙は12,000mまで上がり、旅客機の窓にヒビを入れ、火山灰は遠くオホーツク海にまで降ったそうです。
直接噴火で亡くなった方はいませんでしたが、翌年、度重なる噴火で積もった火山灰による土石流で3名が亡くなられました。
その直後の噴火を最後に噴火は終息しました。
活動にはある程度の周期があり、昭和52年の前は、昭和新山を生成した昭和19年の噴火、その前は洞爺湖温泉の裏山・明治新山を生成した明治43年の噴火、その前は…ということで、ここ最近としては33年程度の周期で噴火活動をしてました。
前回の噴火からまだ23年しか経っていません。
それで「まだ早いって」と思ったわけです。
有史以来ここ数回の活動から、噴火の前に1日から半年の間(幅が広い…)火山性微動を伴った火山性地震が続いてから噴火するという有珠山独特の特徴がわかっていました。
ということは、「火山性微動」が起きるまではまだ切迫はしていないなと考えていた一方、その替わりに今回注目された低周波地震の多発により、だんだんと秒読みが進んでいることを感じていました。
(なぜか火山性微動については、ほとんど報道されませんでした。機会があったら、低周波地震との関係も含めて、専門家に聞いて見たいです。)
有珠山周辺住民の避難が始まり、伊達市街にはいくつもの避難所が開設され、報道関係者がひしめきあい、駐車場には装甲車が並び、上空には常にヘリコプターが飛び、テレビに流れるのは今目の前に見える風景ばかり。
NHKのほか東京から民放テレビ5社、韓国のKBS、CNN、ワシントンポストなどの海外通信社…。伊達市役所前には中継車が並び、中庭には臨時の電柱まで立てられました。
地震は昼夜関係なくひっきりなしに起こり、震度3が10分おき、震度4が毎時間に起こり、太さ1メートルもの鉄筋コンクリートの柱が揺れる瞬間を何度も目撃しました。
非日常の世界の真っ只中にいました。
…なんて、状況に浸っているうちに3月31日(金)13:10に噴火が始まりました。
噴火直後、白煙が立ち上っているいるらしいという未確認情報に、伊達市役所2階で新聞記者と一緒にその噴煙を探したのですが、記者も私も見つけられませんでした。5分後、「噴火した!」の声に、窓に走りました。なんだあ?もう黒煙が高く上がっているじゃないですか。それも全く予想していなかった位置から。
始まった瞬間から見ようと注意していたのに、何たる失態。第一声の情報もあったのにチャンスを逃し、もうそれからその日は「がっくし」です。
それから数日、新たな火口を幾つもつくって噴火活動は続きますが、噴火直後から地震はめっきり起きなくなりました。
そして、だんだんと噴火活動も終息していきましたが、終息するに従ってあちこちから「洞爺湖温泉街に行ってきた」という話を聞くようになりました。
後日、洞爺湖温泉街の金融機関のATMから現金がごっそり盗まれたとの報道もあり、この頃には火事場ドロが暗躍していたようです。
その頃の私の日課は、仕事が終わってからの交通規制ギリギリまで有珠山に近づくドライブでした。
強行突破は私の主義に反するので、通行止表示かバリケードが終点です。
日々噴火活動による危険区域が見直されて狭くなり、開放された区域に自家用車で入り被災した状況を見に行きました。
ただ、残念ながら、春先のこの時期は山に霞がかかる時期でもあり、噴火の様子や山容の変化はなかなか見ることができませんでした。
一月後、虻田町側から交通規制の限度まで有珠山に近づき、とうとう西山火口が見える高台にまでたどり着きました。
火口を遠望する私の頭上でヘリコプターがホバリングしています。
遠くに見える消防車がこちらの様子をうかがっています。
…次に行った時、この高台のずっと前で交通規制されていました。アレ?
更に数月後、洞爺湖温泉街のほとんどの地域の避難指示が解除されました。
まだ住民以外の立入は規制されていましたが、立入許可証を入手して(もちろん正規に)検問を通過することができました。
道路は除灰されていましたが、乗用車や屋根の上などにはまだ火山灰が降り積もっていました。
驚いたのは空振です。噴火口から聞こえるズンズンという低い唸りに合わせて、シャッターが地震のようにガタガタ揺れていました。
ただ、地震と違い、いつまでも終わりなく揺れ続けているのは不気味な光景でした。
更に数月後、いよいよ洞爺湖温泉が営業を再開しました。
でも、宿泊客以外の立入は規制された名ばかりの営業再開で、検問では宿泊施設名を確認する念の入れようでした。
それならばと、検問からちょっと引き返したコンビニから温泉街のホテルに宿泊予約を入れ、正々堂々と観光客として検問を通過。
晴れて、洞爺湖温泉観光客再開第1号になりました。
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今回の火山活動を振り返って